和道場

『お茶と権力 信長・利休・秀吉』出版記念対談  茶人田中仙堂×トレジャーデータ株式会社 取締役 堀内 健后氏【中編】

『お茶と権力 信長・利休・秀吉』に対しては、ビジネスマンに役に立つとの感想も寄せられています。今回は、「データ解析の世界をシンプルに、データでより良い世界を」をコンセプトに注目を集めているトレジャーデータ株式会社の取締役堀内健后氏(写真:右)をお招きしました。トレジャーデータ社の得意とするデータ管理という視点を切り口にして、茶道とビジネスの接点を探っていきます。本対談は、前編、中編、後編の3篇に分けてお届けします。

戦国時代に学ぶマーケティングの重要性

田中:今回、経営者の視点から本を読まれて、何か気が付つかれた点はありますか。

堀内:148ページの「これまで、武人が昇進し、公家の社会に仲間入りしたとき、蔑まれることが多かった。理由の一つは、宮中の故実や公家社会の作法に疎かったからである」という部分が、非常に重要だと感じました。マーケティングでいう、「属性順位を変える」ことにつながるポイントだと思います。トレジャーデータのような新しい会社が世の中に出ていくときには、どうしても、「なんだこの新参者は」という目で見られてしまいます。技術力という分かりやすい訴求点があったとしても、既存の秩序がある世界に入っていくのはなかなか難しい。しかし、全く新しい世界観を持ち込んでいけば、競争をしていく上で、過去の経緯は既存の秩序にとらわれることがありません。そういう意味で、この部分は我々のようなスタートアップの世界にとっても非常に重要な意味を持っていると思います。

田中:それは良いところに気がついてくださいました。信長や秀吉の共通点を考えたときに、ルールを自分の都合いいように活用して、新しいスタンダードを作っていくという特徴があります。今、スタートアップの経営の参考になると仰って頂きましたが、それに加えて、日本が国際交渉をするときなどにも参考になることだと考えています。国際協調はもちろん大切ですが、自国に都合のいいように、国際交渉の中でルールを調整していくということも重要ではないでしょうか。

堀内:まさに、テクノロジーの世界では、そのような調整が重要です。国際交渉の場で、ヨーロッパは一国1票を持っているため、ISOなどの国際標準を作るときにヨーロッパの合意が得られると多くの票を得られます。そのため、ヨーロッパはイニシアチブを握りやすいのです。日本は、どうしてもアジアというには位置的に東に寄り過ぎていますし、アメリカと組んでも2票しかとれません。自分たちが戦うのに有利な環境を作ることは非常に大切で、ITの世界でもそれは同じなのです。トレジャーデータは、日本人3人がデータ活用に新しい価値観を持ち込むためにシリコンバレーで創業した会社で、今、世界という土俵で戦っています。日本のビジネスは、まだまだそういう点ではやれることがあると思いますし、スタートアップを創業して頑張っている若い経営者の方にも、ぜひこの本を読んで学んでほしいと思います。

田中:日本人はアピールが下手だと言われることがありますが、歴史的にみて、ずっと下手だったわけではありません。この本にも書きましたが、戦国時代の武将は、自分をアピールするのが得意でした。四六時中戦ってばかりという印象を持たれているかもしれませんが、戦国時代にはそのような一面があったということを知ってもらいたいと思います。

堀内:私も、戦国時代といえば戦いばかりという印象を持っていましたが、この本を読むと、そうではなかったことが良く分かります。軸を掛け替えたエピソードなどを読むと、当時の人のアピールの上手さを感じます。人心掌握だとか権力の変化を示すためとか、自分の力をアピールするということを、今よりもだいぶ積極的にやっていたのでしょう。そして、茶道がそこに重要な役割を担っていたというのも新鮮でした。秀吉が利休を重用したというのも、信長の後継者としての自分をアピールするという面もあったのではないですか。

田中:まさにそうです。私はお茶が専門ですから、お茶の側面からのみ戦国時代を見ていきましたが、戦国武将は、お茶に限らず、あらゆるものを活用して自分をアピールしていたのだろうと思います。

周囲に認めてもらうためには、自分の成果を分かってもらうことが不可欠

堀内:現代は、ちょっと世に出るとSNSで誹謗中傷を受けたり、色々暴露されてしまうリスクもあります。信長や秀吉という天下人と、我々のような一般人を比べるのがおかしいのかもしれませんが、当時の一般人も、積極的にアピールしていたのでしょうか。

田中:そうです。少し時代が遡りますが、元寇の戦いがあったときに、竹崎季長という武将が「蒙古襲来絵詞」というものを作成しました。これは、恩賞が欲しくて、自分の活躍をアピールするための手段だったのです。竹崎季長は貧しい武士で、必死にお金を用意して参戦した。それなのに恩賞が貰えないので、自分の活躍をアピールするために、「蒙古襲来絵詞」を作ったのです。そういう意味では、自己アピールが必要なのは恩賞を与える上の立場の人よりも、認めてもらう必要がある立場の人たちだったのです。

堀内:数字で成果が見える営業は別として、現代の日本人は、このようなアピールが苦手だと感じます。トレジャーデータは米国の企業ですから、当然アメリカ人の社員もいて、彼らは自分がこんなにやったということをはっきり主張してきます。そこで日本人が黙っていると、なかなか成果として認められない。信長や秀吉は、アピールをして認めてもらうことが非常に上手かったのでしょう。

田中:同じような例として、海外のガーデニングの学校に留学した人の話を聞いたことがあります。留学一年目は、皆のことを手伝ったり、チームが上手くまわるようにサポートしていたら、全然評価されず、逆に、その人が何をやりたいのか全く見えないと言われたそうです。それで、縁の下の力持ちをやることを止めて、自分がやりたいことを主張するようになったら、それが評価されて卒業できたという話です。

茶道具を使って資金調達

堀内:信長や秀吉は特別だったのかもしれませんが、この本からは、アピールの大切さを学んで欲しいと思います。スタートアップは、資金調達が滞ればすぐに潰れてしまいます。戦国時代と違って本当に死ぬことはありませんが、ビジネス的には死んでしまう。せっかく自分が思いをかけてやってきたものが成就しないのは勿体ないですから、そこは大いに主張して、頑張らなければいけないと感じました。

田中:資金調達についていうと、堺の商人たちは、信長や秀吉のスポンサーだったわけです。商人だって、負けそうな武将には出資したくない。特に信長のやり方として、配下の武将は、ある程度自分たちで資金を集めて、信長の命令に従って目標を達成すると、ようやく領地がもらえるというような仕組みだったと思われます。もちろん、最低限の支給は信長からも与えられたようですが、期待される以上の成果をあげようとしたら秀吉などの配下の武将は、自前で先行投資をしながら戦わざるをえなかったと考えられます。秀吉が、信長から茶道具を貰っているということをアピールするという行動には、堺の商人という自分のスポンサーに対して、自分は信長という絶対的なオーナーから目をかけられている武将だから、投資対象として適していますということをアピールする狙いがあったのだと思います。もちろん、戦場で結果を出すことも大切ですが、投資家に対しては、結果の前に、自分は勝てる武将であるということを事前にアピールする必要があったのです。信長軍団の中でも、信長の覚えがめでたいということを主張するためのツールが茶道具だったのです。

*後編に続く